パンツ国際考察
・ドメスティック・パンツ・プロブレム
留学前の筆者は大学生活を生きていく上で重大な危機に直面していた。その問題とはずばり「パンツ」であった。それまでは全く問題のなかった「パンツ」というものが、突然私の生活から消え始めたのだ。ことの発端は2年ほど前にさかのぼる。それまで私の家のパンツ情勢は父親が「白の生協ブリーフパンツ」、筆者が「グレーの生協ブリーフパンツ」という具合に領域が決定されていた。しかし突然、筆者の父が西友荻窪店4階紳士服売り場において「グレーのブリーフパンツ」を購入してきた。当然ながら筆者は父親に対して強く遺憾の意を表明したのだが、それに対して父親は「私が購入したのはカルバンクラインのブランドものであり、生協パンツとの判別は容易である。」という官僚的な見解でこれに応じてきた。しかしながらこの父の暴挙によって筆者の家庭の「父は白、息子はグレー」というパンツ選別システムは、「父は白、かっこいいグレーも父、生協のグレーは息子」というものへと変革を余儀なくされた。この複雑な選別システムはすぐに破綻し、筆者と父親のパンツは混同され、やがて筆者のグレーのパンツは父親のタンスへと吸収されはじめた。父親によって使用された筆者のパンツたちは父親の体系に無理やり矯正され、ぶよぶよにやつれ、げっそりと変わり果てたすがたで筆者のタンスへと帰ってきた。このような「パンツのホロコースト」ともいうべき激しい人権侵害に耐えられなかった筆者は、オーストラリアへと脱出した。
・ ラリ・パンツ・プロブレム
留学によって自らのパンツへの自由を得た筆者であったが、現地到着後すぐに重大な問題が発生した。すなわち筆者が長年愛用してきた生協パンツを本国に置いてきてしまったのであった。筆者がその時点で所持している生協パンツは身につけている1枚のみ、という非常に厳しい状況に直面した。筆者はこの危機を脱するため大学の近くの量販店「ターゲット」にて男性下着購入を決意した。しかしながらオーストラリアにおいてもブリーフ下着は少数派のようで、ブリーフパンツはオヤジっぽい白ばかりが売られていた。しかもビールの個人消費量世界一のオヤジ腹に対応するためか、日本では明らかに「デカパン」と分類されるパンツばかりが売られていた。しかたなく店員に「もう少し小さいサイズはないのか?」と聞くとなぜか店員は筆者を子供服売り場へと連行し、しきりに「ポケモンパンツ」の購入を勧めた。他に適当なサイズの商品が見当たらなかったのでしかたなくピカチュウのマークが入った子供用パンツ三枚を購入し、帰宅した。意外にもピカチュウパンツの履き心地は良好でしばらくの愛用していたのであるが、洗濯のたびにピカチュウはやつれていき、急速に老化していった。進化していくはずのポケモンが退化していく様子はまことに物悲しいものであった。その後父親に日本から「生協パンツ」を送ってくれるようメールで頼んだのだが、送られてきたパンツは白だった。
【そして今日も白 BUCHO】